マヤ電機の足跡を辿る



年表

☆印の出典:『安売り一代 秋葉原闇の仕事師/本所次郎 著(徳間文庫)』

和歴 西暦 出来事 出典 ページ 備考・コメント
昭和41 1966 4 8 創業。場所は秋葉原の裏通り。
5,12,16 後のレッカー車暴走事件のエピソードから推測すると外神田4-8-1と思われる。
昭和44 1969 11   倒産した空調機器取扱店の建物と土地の借地権を購入。
場所は秋葉原の中央通り沿い(外神田4-5-1)
216-219  
昭和45 1970 4   前年取得した中央通り沿いの店舗に移転。
同時に仕入れ用のダミー会社を6社設立。
221  
昭和48 1973 7 13 午後4時頃、外神田4-7の路上にて竹川社長が路上駐車取り締まり中の警察官とトラブルを起こす。
逆上した竹川社長は自分の車を移動しようとしていたレッカー車に乗り込み、マルヤ電機前の路地を数十メートル暴走。蔵前通りに出て信号待ちで停車していたところで追いかけてきた警察官に現行犯逮捕される。
222-225 p222“旧マヤ電機の店舗、いまはマルヤ電機と社名変更したダミー会社”とあることから、マルヤ電機の所在地がマヤ電機創業の地であることが分かる。
読売新聞 昭和48年7月14日(土曜日)朝刊
23面 ※過去記事の閲覧には読売新聞のヨミダスパーソナルを利用
同記事中では社長の名前が竹川博久ではなく“竹川博之”となっているが、これは手書きの原稿に起因する誤植と思われる。(『久』の崩し字は『之』に似ているため)
また、事件が発生したのは“マヤ電気会社”前の路上となっている。この時既に中央通りに移転していたはずなので、単純にマルヤ電機が実質マヤ電機のダミーである事が周知の事実だったか、もしくは単純に記者(もしくは警察署員)が移転を把握していなかったのかも知れない。
10   仕入れ用ダミー会社がマヤ電機との関係を断ち独立。 242  
昭和49 1974 2   前年起こした事件が罰金付きの起訴猶予処分となる。 242 p242“年が明けて昭和四十八年二月”とあるが、新聞記事からみても事件を起こしたのは昭和48年7月なので辻褄が合わない。誤植か記憶違い、あるいは意図的な脚色と思われる。
4 中旬 佐々木ベジ氏がマヤ電機に入社。 255-256 佐々木ベジ氏 : 後のフリージアグループオーナー
25 法人化。マヤ電機株式会社設立。 法人登記情報    
昭和50 1975 3 佐々木ベジ氏がマヤ電機を退社。 261  
昭和54 1979   パソコン(マイコン)の取り扱いを開始。 328,364  
平成2 1990 9 25 店舗の土地と隣接地の計33坪の所有権を地権者から購入。 不動産登記情報(土地)    
11   店舗裏手の空き家を借り、仮店舗での営業を開始。
9月に購入した土地にある店舗・家屋の取り壊しを開始。
426  
平成3 1991 2   ビル建設の地鎮祭が執り行われる。 427  
平成4 1992 7 1 マヤビルが不動産登記される。
不動産登記情報(建物)   鉄筋コンクリート造・地上9階・地下1階。
30 マヤ電機によりマヤビルの所有権保存登記がなされる。 不動産登記情報(建物)    
31 マヤビル竣工。 439  
9   土地取得およびビル建設のために銀行から借り入れた資金の返済を延滞。 441  
平成5 1993 3 25 マヤビルおよび土地の債権が銀行から共同債権買取機構に譲渡される。 443  
5 1 路地を挟んで隣接する小木曽ビル6階にオウム真理教直営のPCショップ「マハーポーシャ」が進出。 443,444 小木曽ビル : 外神田4-4-3
GW明け2日後 警視庁公安部がマヤビル7階を間借りしマハーポーシャの監視を開始。数日後に刑事課も共同利用開始。 446  
12   マヤ電機をオウムの関連企業と勘違いしたオウム被害者家族がマヤ電機に押しかける。その他にもマハーポーシャの強引な路上勧誘によりマヤ電機の店舗運営に影響が出る。 444-451  
平成6 1994 4   DOS/Vショップ『Shaft』が店名を『A-master』に変更の上、マヤビル3Fに移転オープン。 アキバHotLine! 1998年9月5日号
秋葉原マップ(Windows HELP版)ver2.3
   
平成7 1995 7 16 秋葉原マップ(Windows HELP版)ver2.3にてマヤ電機の存在を確認。この時点でのビルの名称は「マヤビル」となっている。 秋葉原マップ(Windows HELP版)ver2.3    
10 第3週 マヤビル6階にTWO-TOP秋葉原3号店がオープン。この時点でビルの名称は「セントラルビル」となっている。 アキバHotLine! 1995年10月21日号(Wayback Machine)    
11   マハーポーシャが閉店。 452  
12 18 マヤ電機の店舗運営を任されていた専務の高橋氏が過労で倒れ緊急入院。 456  
12 20 マヤ電機一時閉店。予約の取り消しと前払い金の返金処理を開始。 460,461  
平成8 1996 1 8 営業再開 478-480 p478“八日、月曜日が大安吉日です。”とあるが実際には仏滅。
3 1 新生マヤ電機(株)再建計画を発表 483  
中旬 セントラルビル7階にDOS/Vパーツショップ『BLESS』がオープン。 アキバHotLine! 1996年3月16日号(Wayback Machine)    
30 高橋氏が代表取締役に就任。竹川氏との共同代表体制となる。 法人登記情報    
4 1 マヤ・グループ事業計画を発表 486  
5 12 個人サイトの写真ギャラリーにてマヤ電機の営業を確認。 これは5月12日に秋葉原に行ったときの写真です   ページ内に年は明示されていないが、マルチメディアPCラボの閉店告知から1996年と断定。
10 25 東京地裁から土地とビルの競売開始通知が届く 490  
東京地裁が土地とビルの強制競売開始を決定 不動産登記情報(土地)
不動産登記情報(建物)
   
11 26 東京都千代田都税事務所が土地とビルを差押 不動産登記情報(土地)
不動産登記情報(建物)
   
平成9 1997 3 下旬 一般小売りから撤退。卸に徹するとして同ビルの地下1階に移転。 アキバHotLine! 1997年4月5日号(Wayback Machine)    
25 高橋氏が代表取締役を辞任 法人登記情報    
4 11 マヤ電機の旧店舗だったセントラルビル1階ではTWO-TOP秋葉原3号店が5/3の開店に向けてプレオープン。 アキバHotLine! 1997年4月12日号(Wayback Machine)   同ビル6階からの移転
8 19 競売により株式会社クォークに土地とビルの所有権が移る。 不動産登記情報(土地)
不動産登記情報(建物)
  株式会社クォーク : 秋葉原などでグッズショップを展開するリバティーの運営元。
旧マヤビルは2022年1月現在、リバティー5号館ビルとして現存している。
10 23 A-masterがセントラルビル3階での営業を終了。 アキバHotLine! 1997年10月11日号(Wayback Machine)   同月25日より恵光ビル5Fにて営業再開。
31 TWO-TOP秋葉原3号店がセントラルビル1階での営業を終了。 アキバHotLine! 1997年9月20日号(Wayback Machine)   翌月1日よりTWO-TOP秋葉原2号店のある恵光ビル2Fにて営業再開。
平成10 1998 6 6 BLESSがセントラルビル5階での営業を終了。 アキバHotLine! 1998年6月6日号   同月19日より小暮ビル6Fにて営業再開。
11 6 年賀状ソフト付属の電話番号辞書にてマヤ電機の存在を確認。
ただし外神田3-6-18に移転している。
宛名職人 Ver.7 for Macintosh   説明書の記載から察するに、電話番号辞書に収録のデータは『東京都23区 : 1998年11月6日現在 (ハローページ : 企業名)』を参考にしていると思われる。
平成11 1999 4 1 年賀状ソフト付属の電話番号辞書にてマヤ電機の存在を確認。
所在地は前年と同じ。
筆王2001   パッケージにある記載から察するに、電話番号辞書に収録のデータは『東京都 : 1999年4月1日現在 (タウン&ハローページ)』を参考にしていると思われる。
平成13 2001 11 14 年賀状ソフト付属の電話番号辞書からマヤ電機が消滅。 筆王2003   パッケージにある記載から察するに、電話番号辞書に収録のデータは『東京都千代田区版 : 2001年11月14日現在 (ハローページ : 企業名)』を参考にしていると思われる。
同一所在地かつ同一電話番号の『有限会社アイコン』という法人の存在を確認。法人登記情報から察するにマヤ電機の業務を引き継ぐための受け皿と推測される。平成10年(1998年)11月17日設立。
平成14 2002 12 3 商法第406条ノ3第1項の規定により解散 法人登記情報   休眠会社のみなし解散
平成27 2015 1 26 商業登記規則第81条第1項による登記記録閉鎖 法人登記情報